A.
太閤検地では一地一作人の原則のもと、税を払う者と受け取る者の関係が整理され、領主は直接、耕作者から税を納めさせることができるようになった。
B.
太閤検地によって大名の領地も米の量である貫高で表されるようになり、秀吉はこれを基準に大名に軍事を負担させた。これを貫高制という。
C.
刀狩や身分統制令によって、それまで区分されていた兵士と農作業に専念する百姓の一体化が諮られた。この政策を兵農分離という。
D.
秀吉の経済基盤は約200万石の直轄地をはじめ、大坂、京都などの重要都市、また佐渡や石見、生野などの鉱山も支配下に置き、収入を得ていた。