【单选题】
読解5 会社の近くに、スプーンとナイフ、フォークだけでなく、必ず箸を添えて出す小さなレストランがあった。紙の箸袋に入った割り箸で、駅弁などに付いているものよりも少し長めの割り箸である。ホテルのレストランなどではまずあり得ない和洋の折衷であるが、このことが実に気楽であり、何よりも食事がしやすかった。こういう所へなら、老人を案内しても、互いに窮屈な思いをしないで食事を楽しむことができる。 日本料理をしっかり支えているのが箸で、たったの 2 本といっても、 3 度の食事で発揮される箸の機能は水陸両用とでも言いたい力強さがあり、固い食事、柔らかな食事、長い、短い、細い、大きい、小さい食物を口へ運ぶに当たっての機能の多様性は、実に驚くばかりである。しかもこの機能は、誰でも、その全てを生かせるというわけでなく、箸を指で使う人間しだいというところがあって、ごく僅かな機能しか発揮できないまま一生を終る場合もある。人間は遠い昔から休むことなく箸を作り続けながら、作った① 箸の暗黙な要求 にどれだけ応えられるか試されてきたとも言えるだろう。 和服姿の人がなくなり、純日本建物が珍しくなって、パン食も普及したが、箸のない家はまずないだろう。箸を上手に使うことができるかそうでないかには、単なる手先の器用さにはとどまらない多くのことが含まれていると思う。よく、箸を持てなくなった、と言って病気や老齢を嘆く。箸も持てない状態と言うのは、考えてみると何かを象徴している状態でもあって、私自身、気持ちが緩んだり、塞いだりしているような時は、箸の持ち方や箸運びがだらしなくなっている場合が少なくない。 2 本の箸の両先端が、自分の体の部分のように違和感なく精妙に働く時、背中をしゃんと伸ばした老人が茶碗を片手に箸を使っている姿を見るのが好きである。② ものが所を得ているさま だ、と思う。 旅に出ると、早朝、町の小店などでよくそうした情景に出会う。表に立って声をかけると、老夫婦の慎ましい朝食が中断される。悪かったと思う気持ちと、いい情景を見たという静かな喜びが重なる。 問 7 レストランの出す割り箸について、筆者はどう思うか。
参考答案:
参考解析:
举一反三